てぃーだブログ › 音楽について

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Posted by TI-DA at

2007年08月20日

作詞者

ドイツが世界に誇る大文豪J.W.v.ゲーテ(1749~1832)とならぶ2大文豪のひとり大詩人F.v.シラー(1759~1805)です。
古典期の彼れはドイツのシュワーベン地方にあるマルバッハという町における軍医の家庭で生まれました。厳しくて雄雄しい誠実な父親そして多感で優しい性格は母親からそれぞれ受け継いだといわれています。
おなじみの「ウイリアム・テル」の戯曲や歴史書そして広範囲の文学書も多く、ロシアの作家I.ツルゲーネフ(1818~1883)やF.ドストエフスキー(1821~1881)などへ非常に大きい影響をあたえています。
人間が知性のある社会を形成するための過程を明らかにするのも歴史の一層深い研究が必要という考えが非常に強く、そのためには関連する当事者の内部にまで立ち入ろうとする傾向があったのです。
日本でも明治時代になって“自由”を叫ぶ思想家としての詩人としてとくに親しみをもつ人々が増えています。
「第九」での「歓喜に寄す」は彼れが26歳のときに書かれた詩ですが、封建制度の社会を批判したり自由を求めたりしたので放浪的生活をさせられたのですが友人ケルナーのおかげでドレスデンにおちつくことができ、その時の喜びと感激をこの詩で感動的に表現しているのです。
ベートーヴェンはその前半部を用いて世界に感動をよび起したのですが、非常に残念なことにシラーはそれを知らずに世を去っているのです。  


Posted by ・・ at 23:25

2007年08月02日

時代と動機

作曲者が生まれ故郷のボンにいたまだ20歳のころにシラーの詩に非常な感銘をおぼえてその作曲を考え始めていたときで、まだ交響曲の第1番さえも作曲していない時代です。
当時の封建社会や自由にたいしての訴えなどが彼のこころの中では次第に成熟していき、ウイーンへ移ってからもその構想はじつに長く完成までには30年以上を費やしていることになります。具体的には彼が45歳ごろから始めており、ロンドンからも正式な依頼を受けて本格的に第9番の作曲に取り組んでいますが、彼はある旋律をほかの作品にもなんども使っているため実質的にはかなり以前にまでさかのぼることになります。
当初での第4楽章は器楽のみを考えていたとの記録が残されており、声楽のものは別の「ドイツ交響曲」への予定を立てていたのです。
しかし彼の詩による社会への訴えの強い力は一つの交響曲としてまとめる方へとすすみ1824年の彼れが54歳のときについに初稿は完成しましたが、何度も改訂が行われつつもその「合唱付き」がついに完成したのです。
この偉大な第9交響曲が献呈されたのはときのプロイセン王のF.ヴイルヘルム3世なのです。  


Posted by ・・ at 12:15

2007年07月14日

第九交響曲、曲の構成

四つの楽章からなる1時間を越える交響曲であり、夫々が約18分・12分・20分、そして25分をも要する終楽章となっています。
全楽器編成とともにこの終楽章には4人つまり女性のソプラノとアルト、男性のテノールとバリトンの独唱者、そして数十人の混声合唱者が感動きわまる歌詞「歓喜に寄す」を歌い上げていてまさにその“圧巻“を呈しています。
この大切なメロディーは第一楽章からすこしずつ表現され始められています。
終楽章では低弦が厳かに奏し始めトランペットにより高々に歌い上げられたあとバリトンのソロで開始されます。
それは作曲者自身の文章で“お-友よ、そのような調べではなくもっと楽しく喜びに満ちて声高らかに歌おうじゃないかー”というものです。

続いて四人のソリストたちと全合唱員とが“歓喜よ!”とか、”兄弟よ!”そして“愛する神よ!・・・”と叫びながらフーガの技法も取り入れつつ歌い続けられます。天使のもとで人類はみんな平和で仲のよい兄弟であるということ、そして星の天蓋に住み給う愛する神々・・・の表現にいたるまで人の声とオーケストラとの見事なハーモニーによる万人へあたえる感動はほかではありえないほどのものです。作曲者はここでも社会へ訴えるメッセージを強く込めているのです。  


Posted by ・・ at 17:56

2007年07月09日

第九交響曲初演

それは1824年の5月、ウイーンでのことでした。
曲があまりにも大規模で異例な構成だったのでオーケストラをはじめソリストや合唱団そして劇場、さらには著名な招待者の選定はじつに大変なものだったのですが、演奏会は非常に盛況で熱狂的に迎えられたのです。
指揮を終わった舞台の上の彼れはその嵐のような拍手も悲しいことに難聴の耳の病のためよそごとでしかなかったのです。
アルトの女性独唱者が彼の袖を引いて合図し聴衆の熱狂振りを知らせて、彼れは振り返って初めてそれを知ったというエピソードが残っています。

そして日本におけるその初演は1918年6月1日で徳島県の鳴門市俘虜収容所だったのです。これは中国の青島で俘虜となった第一次大戦でのドイツ兵俘虜たち約1000人が徳島に送られてきて、ヒューマニズムが非常に大きくあふれる松江所長のもとで、彼れらの手作りの楽器などにより初めての試みとして開催されたのです。
その苦労はじつに大変ではあったのですが、俘虜たちと県民たちとの温かい心が通じる交流がその中心となり、100回以上の演奏会が開催されています。
日独合作に近い映画「バルトの楽園」で見事に当時が再現されており、まさに感動のストーリーとなっております。  


Posted by ・・ at 20:24

2007年07月07日

CD

わたしたちがもっとも間単に身近で音楽などが楽しめるもののひとつがCDです。
そのディスクの直径は約12cmに世界で統一されていますが、これは日本への訪問で最高の人気をもつオーストリアの世界的名指揮者でベルリンフイルハーモニー管弦楽団の監督・指揮者をつとめたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)がなんと日本の今や世界的な音響電器メーカーと相談して“ 「第九」が入る大きさ ”ということで決められたものといわれています。

「第九」全曲が1枚ということでさすがにそのCDは100種類くらいが発売されており、関西の世界的名指揮者故「朝比奈隆」氏によるものをはじめ、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国ほかの多くの指揮者とオーケストラ・合唱団が競って演奏し録音を行っており、その購入にはだれしも迷うことです。
なかでもドイツの名指揮者W.フルトヴェングラー(1886~1954)によるものがまさに歴史的な名演奏としてベートーヴェン音楽の本質を再現させるこれ以上の感動を与える演奏はほかには無いとまでいわれています。

録音は1951年7月のバイロイトにおけるライヴのものですが、現在より録音技術が低いとはいえソプラノには世界的なE.シュワルツコプフが加わるなど、フアンにはなくてはならない一枚です。  


Posted by ・・ at 05:26